企業CSR・社会貢献活動
花王株式会社
花王は、「よきモノづくり」を通じて、豊かな生活文化の実現に貢献できることを使命としています。"よきモノ"をお届けする事業活動とともに、よき企業市民として、社会に貢献することを目的に社会貢献活動に取組んでいます。
和泉の森を育む会
空を見上げると、優しい木漏れ日が私たちを包み込んだ。青々と茂った葉っぱは風の指揮に合わせ、その身を揺らしている。足元の土は綿のように柔らかく、まるで雲の上を歩いているようだ。
ここは立場駅から約15分のところにある「古橋の森」だ。7名の所有者が持つ森で、約4ヘクタールの面積の中には、杉やコナラの木があり、小川には沢蟹の姿も見られる。開発が進む市街地の中で、この森はさながら「動物たちの憩いの場」といったところだろうか。しかしこの森がそのような姿になるまでには、この森を守ろうとする人々の苦労と努力があった。
始めの一歩
- 以前の「古橋の森」は危険な場所であった。タイヤや廃家電が捨てられ、昼も薄暗く、近隣の住民も怖くて近寄らないほどだった。
2000年、現在の事務局である中村孝夫さんは、市の環境保全局が開催した「環境リーダー養成講座」に参加した。受講する中で中村さんは、「やればできそうだ。」と思い、以前から気になっていた「古橋の森」の保全活動に乗り出すことを決意した。
中村さんがまず始めにとりかかったことは、「地主さん探し」だった。
しかし地主を見つけ、活動の許可をお願いしに回っても、なかなか良い返事がもらえない。その理由は、無料で手入れをすることに対する疑い。また、見知らぬ人が自分の森で活動することへの不安や、森での活動中起きたことへの責任などだった。
そんなときに手を差し伸べてくれたのが、地主の一人であり、泉ヶ丘幼稚園の園長をされている清水さんだった。清水さんは、古橋の森を安全な場所にすることで「お年寄りと園児の日常的な交流の場」になると考え、他の地主の方々に活動の許可を呼びかけてくれたのだ。そのおかげで、ほとんどの方々から許可をもらうことができたのだった。 - 和泉の森を育む会のみなさん。
みんなの森
- 次に取り掛かったことは「会員集め」だった。既に会員の一人だった地元泉町の町内会長が、町内会の回覧板にチラシを入れてくれたのだ。そして「地域と一緒に森を育んでいきたい!」という中村さんの志の下、同志を募ることが出来たのだ。育む会会長の天野さんは、当時の想いを振り返り、「ゴミだらけのこの森で、いつか散歩ができるようになったらと期待していた」と言う。こうして2001年3月、「和泉の森を育む会」は発足した。
活動は、古橋の森を危険で近寄り難い雰囲気にしているゴミの処分から始まった。タイヤや廃家電は一つ一つが重く大きいため、森から運ぶだけでも大変な苦労だった。やっとの思いで森からすべてのゴミを運び出したときには、トラックを呼ばなくてはならないほどの量になっていた。
その後、下草刈りや枝下ろしをおこなうことで、昼も薄暗かった森には、暖かな日差しが入るようになった。今では幼稚園児が遊びまわり、お年寄りの方が散歩に訪れる「みんなの森」となっている。 - 多くの人に親しまれるようになった古橋の森
地域と森を育む会
育む会は現在、会員数約40人となり、今では森の下草刈りをはじめ、森の清掃で集まった落ち葉を使って、地域の子ども会や老人会と共催するヤキイモ大会などもおこなわれるようになった。地域の人からは「あそこは本当にきれいになりましたね。これで安心」といわれることもあるそうだ。このような活動の中で、今、一番地域から注目されているのは、「高齢者宅の庭木の剪定(せんてい)」だ。
会員の一人である老人会会長から、庭木の剪定に困っている高齢者が多いことを聞き、「自分たちにできることならば」と、剪定を行うことにしたのだ。料金は無料ということもあって、今では地域の高齢者の方たちからたくさんの依頼が舞い込んでいる。外出をあまりしなくなった高齢者の方にとっては、剪定をしに訪れた会員の方たちとのふれあいも、楽しみの一つではないだろうか。始めは「地域によって育まれた会」だった「和泉の森を育む会」は、今では「地域と森を育む会」になったといえるだろう。
人と人との「輪」
育む会には、「ルール」がない。その理由を中村さんは、「森を愛している人が多いから。だから命令的ではなく、立場を理解してあげて、能力を信じ、輪をもってかばいあう。これからもそうやっていきたいんですよ」と語っていた。活動をする中で一番の楽しみは、汗を流した後の食事と反省会で必ず飲むビールだと笑顔でいうメンバーの方たち。「和泉の森を育む会」は森をきれいにするだけではなく、人と人との「輪」を広めているのではないだろうか。今日も古橋の森からは、清々しい風にのって、温かな笑い声が聞こえてくる。