企業CSR・社会貢献活動
花王株式会社
花王は、「よきモノづくり」を通じて、豊かな生活文化の実現に貢献できることを使命としています。"よきモノ"をお届けする事業活動とともに、よき企業市民として、社会に貢献することを目的に社会貢献活動に取組んでいます。
仏子山親緑会
東京と埼玉の県境に位置する、加治丘陵。周辺は、西武池袋線が走り宅地開発が進んでいる一方で、トトロで有名な狭山丘陵や秩父山地などの自然も多く残されている。埼玉県入間市西武地区、仏子(ぶし)の人たちに古くから「仏子山」と呼ばれ地元仏子小学校の校歌にも謳われる小高い丘は、そんな加治丘陵の東端にある。今回訪問したのは、仏子山斜面の一角で森林の管理を行う「仏子山親緑会(以下、親緑会)」。会長の小岩井茂助さん(以下、小岩井さん)初め、メンバーの方々にお話を伺った。
武蔵野の森を取り戻すべく
- 「春になると花粉がひどくてね、車の上なんて黄砂みたいに積もったもんだよ。」苦虫をつぶすような表情で親緑会メンバーの方々は語ってくださった。親緑会の活動場所である住宅地に隣接する麓から頂には、数年前まで戦後の復興期に植樹されたスギやヒノキの林が広がっていた。この森林は持ち主が利用できずに相続に伴い入間市の所有となっており、近隣住民は勝手に伐採することもできない。ゆえに地域の方々は、仏子山から毎年大量に発生する花粉の被害に頭を抱えていたそうだ。2008年、長年住民からの苦情を受けていた市の要請で、「武蔵野の森再生事業」として森林再生を推進していた埼玉県が森林の一部を伐採することになった。そこで伐採した斜面を周辺と合わせて管理するために地域の住民が集って結成したボランティア団体が仏子山親緑会だ。活動開始一年目である昨年は、「植樹祭」と名付けて地域住民や小学生にも参加を呼びかけ、伐採し更地となった斜面に広葉樹の植樹を行なった。現在は植樹した落葉広葉樹を根付かせるほか、伐採ができなかった急斜面にも広葉樹が育つようにと、管理区域の様々な場所で間伐や下草刈りを行なっている。
- 仏子山の斜面には昨年植えられた広葉樹がすくすくと育っている
「つながり」を育む会
- 30名ほどいるメンバーは、全員が活動場所へ歩いて行ける距離。親緑会は当時地区会長を務めていた小岩井さんらを先頭に、花粉に苛まされてきた地域のメンバーが中心となって構成された。もともと地元の農協で働き行政ともつながりのあった小岩井さんが主体となったことで、市有地での活動がスムースにできているのだろう。メンバーはすでに現役を引退している70代以上の方から平日はサラリーマンとして働いている40代の方まで、世代も職種も幅広い。活動は無理のない月一回のペース。ほとんどのメンバーが初心者だったが、みんなでチェーンソーや下草刈り機の使い方を学び、森に入って実際に活動をしながら使い方を身に付けてきたそうだ。そんな近くに住む人々が一緒になって作り上げてきた親緑会の雰囲気は、非常に和気あいあいとしており気軽で明るい。メンバーのみなさんも親緑会の活動を楽しみにしているのが、ひしひしと伝わる。町内会などが衰退し近隣同士の交流もめっきり減っていたのは、この仏子でも同じ。「親緑会のメンバーに街中でばったり会うことはよくあるよ。」近くに住みながら顔も名前も職業さえも知らなかった地域の方同士が親緑会を通じて知り合い、年齢差に関わりなく森で活動し、ともに酒を飲み、会えば会話を楽しむ。親緑会は人と森とをつなぐばかりでなく、人と人とをつなぐツールとしても機能していることが分かる。
- 和気あいあいと活動に取り掛かる会員の方々
住民にとって迷惑な森を憩いの場所に
- 生まれたばかりの親緑会の活動は、まだまだ手探りだ。しかしメンバーの方々の目標は一つ、もっと多くの人にこの森に触れ合ってもらい、この森が地域の人にとって癒しの場となることだ。背景にあるのは、昔からこの地に住むメンバーの、幼いころの記憶。彼らはよくこの森に入り目いっぱい遊んだそうだ。今の子どもたちにももっと森に入ってもらい、森で遊び、森を知ってほしい。そのために始めているのが、子どもたちとの交流である。地域の方々に歩いてもらおうと麓の道路脇から仏子山山頂のサイクリングロードまで作った遊歩道には、登山者が休めるようにとこの森で伐採した木材を利用したベンチが設けられ、サイクリングロードから遊歩道への入り口には仏子小学校の生徒たちが描いた仏子山の絵が貼られている。小学校で仏子山を調べる授業なども組まれるようになったそうで、「小学生が仏子山について聞きに来たりもするんだよ」と小岩井さんはちょっぴり照れくさそうに話してくださった。山の森が地域の人々にとって、花粉を飛ばす厄介者から安らぎを与えてくれる憩いの場へと変わるだろう。森は森として独立で存在するものではなく、私たち人間や様々な生き物との「つながり」から作られるもの。仏子山は、そんなことを感じることのできる場所だ。