企業CSR・社会貢献活動
花王株式会社
花王は、「よきモノづくり」を通じて、豊かな生活文化の実現に貢献できることを使命としています。"よきモノ"をお届けする事業活動とともに、よき企業市民として、社会に貢献することを目的に社会貢献活動に取組んでいます。
特定非営利活動法人 縄文楽校
静岡県浜松市。古代文化の痕跡を数多く残している浜松市の駅前は、今、真新しいビルやホテルが立ち並ぶ。そこから車で20分の所に特定非営利活動法人「縄文楽校」の事務所はある。活動場所は全部で四か所ある。
縄文「学校」ではなく「楽校」。縄文楽校は、名の通り楽しみながら70人以上いる会員が活動を共にしている。会員をまとめている鈴木清子さん(以下、清子さん)は縄文楽校設立前も数々の自然保護活動に携わってきた。その経験を基盤にし、2002年2月11日、自然と人とが調和し、互いの相乗効果を実感する「循環型社会づくり」を活動理念に「縄文倶楽部」は設立され、2006年12月18日のNPO法人化に伴い団体の名称は現在の「縄文楽校」へと変更された。
縄文楽校が活動理念に掲げる「循環型社会」とはなにか。それは、これから紹介する縄文楽校の活動を見ていくことでわかっていただけるのではないかと思っている。
自然と人の調和を目指した取り組み
- 最初に活動を始めたのは、中心市街地と都田テクノポリスを結ぶ「三方原防風林」だ。ここに、都市開発により切り取られるはずであった「三方原台地」の木々を移植した。防風林と移植された木々は移植から8年経った今、四季を通し様々な顔を楽しむことのできる25メートルプール程の大きさの森になっている。その森は今アイヌ語で「幸せ」を意味する「ププリ」という言葉と共に、「ププリの森」と名付けられている。
清子さんにこの活動のきっかけを訪ねると、「森の泣き声が聞こえたから。」と話してくれた。戦後、住宅や道路の開発が著しく進み変化していく街の風景を横目に「このままではいけない。なにかをしたい」という想いは膨んだそうだ。
清子さんの友人や防風林の周辺に住む人々の心を動かし、ついには三方原防風林の地主に移植の許可を得ることに成功し、浜松市の行政の協力も得ることができたのは、縄文楽校設立以前から、毎日のように近所の人から相談を受けていた清子さんの厚い人望と強い想いがあってのことだ。
半分はありのままの自然を、半分は人の手によって育ったこの森の在り方は、今も活かされ、清子さんを始め、会員等は今でもこの森を度々訪れては手入れをし、木々の成長を見守っている。 - ププリの森
幅広い活動は繋がる
- ププリの森作り活動をきっかけに、その後縄文楽校の活動は、幅広くなっていく。「草原の共室(きょうしつ)」では、絶滅危惧種のキキョウなどの手入れを、「里山の共室」では「黒米」・「緑米」を栽培している。そして「湖の共室」では佐鳴湖でヤマトシジミの生存・繁殖が可能か、調査を行っている。初めは小さな苗木の移植から始まった活動は、現在では様々なフィールドで行われている。
そのフィールドの全てを会員や近所の住民が一台のバスに乗り、見て周るイベントも催されている。「エコツアー」と名付けられたこのイベントは、森から段々水源地へと近づくことで水の流れや生態系の変化を見て、いのちのつながりを実感できるというものだ。清子さんは「エコツアーの特徴は人の力で復活してきた自然の経緯が見られること。」と語る。エコツアーは縄文楽校が目指す「自然と人と物とが調和した社会」つまり「循環型社会」の姿を再確認する絶好の機会となっている。 - ひびきの森の「小路」
小路に込められた想い
- 「一番の願いは、この森が将来子供たちの教本になってくれること。」清子さんは浜松市立豊岡小学校(以下、豊岡小学校)にある「ひびきの森」への思いを話してくれた。
ひびきの森とは2009年10月29日、縄文楽校と横浜国立大学の宮脇昭名誉教授のもと、豊岡小学校の全校児童726人が学校の中庭へ約140種類800本の苗木を一人ひとりが植えてつくられた森だ。
「ひびきの森」をつくる上で清子さんが最も力を入れたのは、森の中を通る「小路」づくりだ。「小路」ははじめ、森の真ん中を通るただの真っ直ぐな道だったが、「ひびきの森」が子どもたちにとって身近な命に触れるきっかけとなるようにと、清子さんと夫の鈴木信行さん(以下、信行さん)が縄を使い、何度も道筋を作り、ようやく今のクネクネと曲がった小路が完成した。
「核を大事にしたい。そうすれば自然となにかが変わっていくと思うから。」と話す清子さん。「核」とは、人々の身近に木々や生物がいるということだ。縄文楽校が目標に掲げる「循環型社会」は、人も木々や生物と共に生きていることを知ることから始まる。
ひびきの森につくられた「小路」のように、これからも縄文楽校は将来子どもたちが「循環型社会の一員」になるための第一歩をつくり続けていくだろう。