企業CSR・社会貢献活動
花王株式会社
花王は、「よきモノづくり」を通じて、豊かな生活文化の実現に貢献できることを使命としています。"よきモノ"をお届けする事業活動とともに、よき企業市民として、社会に貢献することを目的に社会貢献活動に取組んでいます。
フレンドツリーサポーターズ
東京都多摩市小田急永山駅で降り、辺りを見回すと、緑が夏の日差しに照らされて眩しい。多摩ニュータウンは1965年に都市計画が決定し、多摩丘陵につくられた日本最大級のニュータウンだ。フレンドツリーサポーターズ(以下、FTS)の活動場所の一つ「豊ヶ丘の杜(もり)」もここにある。
長野から多摩市へ
- FTSは緑地の育成管理を行う市民団体だ。始まりは長野県八ヶ岳にある「多摩市民の森」の手入れからだった。ここは多摩市と南信森林管理署が協力し設けられた東京ドーム約4個分のカラマツ人工林で、市の小学生が様々な体験・学習活動を行えるようにした場所である。
「多摩市民の森」がオープンした当初は、市が森の手入れ作業をする人を市民の中から公募し、まとめていた。しかし安全に森の整備を長期的に行うには、組織立って活動する必要がある。そこで2006年、代表の鈴木幸夫さん(以下、鈴木さん)が中心となって、これまで作業に参加していたみんなでFTSを立ち上げたのだ。
多摩市民の森での活動は5月から間伐作業を中心に行われる。10月には小学生が間伐したカラマツ材と一緒に森林組合にまとめて運搬され、木材はバイオマスエネルギー(ペレット)として再利用される。ところが、それ以降の冬の間は雪で山に入ることができない。「せっかく多くの人が集まっているのだから、一年を通して何かできないか。」鈴木さんは多摩市内に新たな活動場所を求め、市と相談をした。そこで翌年、市から依頼されたのが多摩市内にある「豊ヶ丘の杜」の整備である。こうしてFTSは遠く長野県から地元多摩市内へと活動を広げたのである。 - FTSの努力により、美しく整備された「豊ヶ丘の杜」
「ご苦労様です」―愛される団体へ―
- 「豊ヶ丘の杜」は二つの団地に挟まれた1.5haの緑地である。活動当初の2007年、森は樹齢40年ほどのクヌギやコナラ、山桜が高木化し、常緑樹や竹、カヤが密生し、薄暗い森となっていた。子供たちの絶好の遊び場である反面、団地の住人は防犯上不安を持っていた。しかし、FTSによる整備が進むと、里山は蘇った。最初の1年は主に下草を刈り、毎年少しずつ枯損木の間伐を進めていくと森の内部がよく見え、新たに森の中に作った遊歩道にも日差しが入りこみ、散歩をする住民が増えていった。親は安心して子どもを遊びに行かせられるようになった。春には整備をして花が一層目立つようになった山桜の下で、のんびりとお花見をする住民の姿も見られるようになった。
当初は近隣住民から「この人たちは何をしているのだろうか」と訝しがられていたが、最近では「ご苦労様です」と声をかけられたり、「この辺りを手入れしてほしい」と頼りにされたりするようになった。
中には活動の様子を見て、FTSのメンバーとなる近隣住民もいる。現在は広報の担当に就く安永尚志さんもその一人である。出会いは山桜の森を散歩していたときであった。「活動をのぞいていたら、引っ張り込まれてしまった」と、にこやかに語る。 - 手前はシイタケ菌を接種したほだ木。力を合わせて組み立てる
伝える“少年の森”
- 「多摩市民の森」、「豊ヶ丘の杜」で実績を上げたFTSは新たな依頼を多摩市から受けている。東永山複合センター敷地内の梅の木の手入れである。上手く実をつければ、活動の魅力が増し、更に参加者の裾野が広がるのではないかとメンバーは期待を覗かせている。こうして現在のFTSの活動は間伐、下草刈り、剪定と多岐に渡る。
何故このように意欲的に仕事を増やしていけるのだろうか。その原点はメンバーそれぞれが持つ少年時代の体験にある。メンバーの方々は幼いころに山や海、川で夢中で遊んだという大切な記憶がある。実際に森づくりを始めると、童心に返っていきいきとする体験を参加メンバーは誰でも一度は思い出すそうだ。子どものころに図鑑で眺めていた国蝶のオオムラサキを「豊ヶ丘の杜」で発見したメンバーがいる。長年の夢が叶ったと語る顔はまるで少年のようだった。
FTSは子どもたちの学びの場としてつくられた長野県の「多摩市民の森」から始まり、地元多摩市の「豊ヶ丘の杜」へ活動を広げていった。「豊ヶ丘の杜」は今や子どもたちの遊び場となり、森の中には木の枝で遊んだ跡が見つけられる。FTSが住民とともに活動を広げ、緑を守り育成する森では、世代を超えて森で遊ぶ楽しさが伝えられていく。今また新たな世代の少年たちがそれぞれの思い出を築き始めている。